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- 作者: 川島武宜
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1967/05/20
- メディア: 新書
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確かに昔は狭いコミュニティーで当たり障りなく皆が円満で暮らしていけることが望まれ、それに適した感性が育ったのだと思うが、現代の個人主義への移行でこれからますます意識は変わっていくんだろうと予想される。しかし現実には言語・文化と結びついた感性は簡単に変わるはずもなく、これからも独自の感性が築かれていくのかもしれない。
個人的には日本人の感性が変化していくことに対してはどうしようもないと思うが、世間体などを意識することで生まれてきた日本独自の考え方、文化といったものはこれからも失われずに残っていってほしいと思う。
以下内容の書き出しや、まとめ。
- 法は争いを「一定の客観的な判断基準」により、事実上の力の優劣に関わらず平等に扱うというのが「法の下に平等」
- 社会・文化・立場などにより価値体系も異なれば、判断基準も異なる。よって絶対的に客観的な判断基準というものは存在しない。大きな社会で認められる判断基準の正当性の信念を維持していくことが重要。
- 法とは権利の体系である。西洋では自分の権利を擁護することは正しいこととして是認されるのに対し、日本では自己中心主義的として非難の対象になる。日本では権利本位ではなく、義務本位の考え方が根強い。
- 道路交通法の交差点を例にとると、優先権を認めるのが権利本位。優先権がないほうが譲るべきと考えるのが義務本位。
- 日本語の言語習慣では、内容の中心のみ明確にし、周辺を不明確・曖昧にし受け手によって変化する「含蓄」というものがある。これは言語だけに限らず社会規範・社会意識・文化とも切り離せない関係にある。
- 法の二つの不確実性
- 規定内容の不確実性:本来言葉の意味を明確にし社会の変化に合わせて調整すべきではあるが、西洋では意味を確定・固定的に捉え意識したうえで調整されるのに対し、日本では不確定的にとらえ「解釈」という法律の意味調整を行っている。
- 規範性そのものの不確実性:西洋では理想と現実は厳密に分離し対置され、法が有効であれば、非現実的であれ取り締まられる。しかし日本では境界はあいまいで、非現実的な法律を機械的に取り締まるのは融通がきかない取締と考えられ、法は「伝家の宝刀」として実際にはほとんど使われない。
- 訴訟とは問題に白黒つけるのが目的であり、日本のような協同体的関係を築いているなかではその関係を破壊する行為で喧嘩を吹っかけているのと同義で、ネガティブに受け止めれらる。
- 判決を下す側にも「喧嘩両成敗」の思想があり、厳格に法には従わないケースもある。(権利を認めるのではなく、双方の義務が果たされなかったために問題が起きたと考えられる)
- 日本では「和の精神」により円く納めることが美徳とされる。有力者、人格者により落としどころ見つけて調停。